原潜K-3は博物館になる

 ソ連初の実用原潜К-3(ノヴェンバー級1番艦、プロジェクト627)が博物館として保存されることになりました。
(原子力潜水艦レニンスキー・コムソモルは博物館になる--flot.com)

 flot.comによるとK-3はムルマンスクにソ連初の原子力砕氷船レーニン”と共に展示されるとのこと。レーニンは2005年から展示されています。

(↑原子力砕氷艦レーニン”)

 ソ連発の原潜であるK-3は米海軍のSSN-571ノーチラスに遅れること3年、1955年に建造が始まり1958年にБ-3として就役しました。初期の艦であり、ノヴェンバー級自体が原潜の技術立証艦的性格が強かったことから事故が絶えませんでしたが、第二世代以降の原潜の設計や原子力技術の発展、乗組員の育成に大きく貢献したのは間違いありません。なお、本級の原子炉はレーニンと同じOK-150型で、これは他の第一世代原潜と同じです。OK-150はレーニンに搭載され先行試験されていました。
 flot.comの記事では1967年9月8日にK-3がノルウェー海で起こした乗員が39名した死亡火災事故を「ソ連原潜部隊初の重大事故」と評していますが、その場での死亡者を伴わない事故では1960年10月13日にK-8が原子炉の蒸気発生器の故障で乗員13名を被爆させ1965年2月にK-11がセヴェロドヴィンスクで燃料棒交換中にトラブルを起こし修理をした7名を被爆させました。また、同じく1965年2月に”レーニン”も原子炉から冷却水を喪失し中性子の漏洩、一次系ポンプの故障、蒸気発生器伝熱管からの放射性物質漏洩事故を起こし原子炉を交換しています。(ちなみに有名なK-19の事故が起きたのは1961年なんですがね・・・・)第一世代の原子力船(原子炉)で事故が多かったのは原子炉の一次冷却系の安全装置が無く、冷却水の喪失でメルトダウンが簡単に起こり得たことが原因。第二世代以降では安全装置が整備され安全性が大きく改善しましたが今度は乗員による操作ミスによる事故が増加しました。第三世代の原子炉では重大な事故は未だに起こっていません。従って第一世代だけを見て”ソ連・ロシアの原子炉は欠陥品だ。危ない”というのは誤りです。

(↑SSN-571 ノーチラス)
 この度めでたくソ連初の原潜とソ連初の原子力船がムルマンスクで展示されることに成りましたが、同じく初期の原潜としては他にK-19を博物館・退役水兵のクラブにしようという計画が有りますが折衝が難航しています。アメリカのノーチラスの方は海軍が保有し博物館としているようです。