ソ連初の原潜K-3が試運転された日

 日本で1月17日といえば兵庫県南部地震(阪神淡路大震災)の日ですが、ソ連では初の原潜K-3の試運転が行われた日でもあります。

 ノヴェンバー級(プロジェクト627)の1番艦のК-3は1959年1月17日に海軍の受領証明の試験運用を行いました。K-3は1955年9月24日にセヴマシュで起工され、1957年8月9日に進水しました。1957年9月14日に搭載するVM-A型原子炉を起動させ、1958年12月17日にソ連海軍が受領しています。その翌1959年1月17日に試験運用を行い、1959年3月12日に北方艦隊に編入されました。本艦は”レニンスキー・コムソモール”と1962年12月9日に命名されましたがこれは1943年に戦闘で喪失した北方艦隊のディーゼル潜水艦М-106の名前を引き継いだものです。1961年に大西洋で最初の能動的な運用を行いました。1962年7月にはソ連史上初めて北極海の氷の下で長い軍事行動を行い、二回北極点を通過しましたが、このときは氷が厚く浮上できませんでした。定かではありませんが、この航海の時魚雷を発射し浮上用の穴を開けたように記憶しています。1962年7月17日にソヴィエトの潜水艦として初めて北極点に浮上しました。この航海を終え港に帰投後、艦はフルシチョフと国防大マリノフスキーの訪問を受けています。この航海の功績で艦の全乗員に賞状と勲章が与えられました。1967年9月8日、出港後56日のK-3は油漏れが原因の火災に見舞われ第1、第2区画に居た39名の乗員が死亡しました(大部分は消化剤の二酸化炭素による窒息死だとか)。K-3は海軍が受領してから27年経った1987年12月17日に海軍の戦闘編成から外され、その後は解体される予定でしたが博物館として保存されることに成りムルマンスクの第10船舶修理工廠「シュクヴァール」で修理を受けた後同地で記念館として保存されています。

 ノヴェンバー級は実験艦・技術実証艦としての性格が強い原潜でしたが、本級建造で得られた経験や運用で獲得したノウハウがその後の潜水艦建造・運用の基礎となったのは言うまでもありません。また、本級を指揮した多くの士官が将官などへと出世して行きました(これはインドが取得した初の原潜であるチャーリー級のK-43でも同じことです)。また、ノヴェンバー級の主任設計担当のウラジーミル・ペレグドフは社会主義労働英雄の称号を授与され、セヴマシュ総取締役だったエゴーロフもレーニン勲章を授与されています。

 本級が西側に与えた影響も少なくはありません。1960年代ごろ、アメリカ海軍はソ連原潜の速力を低く(最高で20ノット程度)見積もっており、またアメリカの原潜建造ポリシーは「水中速力なんぞどうでもいいから静粛性と潜航深度を高めろ」というものでした。攻撃型原潜の艦体は大型化するのに原子炉出力が強化されないままだったので、スキップジャック級SSNは最高で29ノットを発揮できたにもかかわらずその2世代後のSSNであるスタージョン級では水中速力が25ノットまで低下していました。1969年初頭にCVN-65 エンタープライズを中心とする空母戦闘群がヴェトナムに派遣される途中でノヴェンバー級の追跡を受け、空母側は「低速なはずの」ソ連原潜、しかも旧式なノヴェンバー級を振り切ることにしましたが、30ノット近い速度を出したにもかかわらずそのノヴェンバー級はこれを追尾するという事件が起きました(ノヴェンバー級の公式水中最大速力は30ノット)。これにおったまげたアメリカ側は次のロサンゼルス級で速力も重視した設計を行うことに成ります(ただしその代償としてフライト1・フライト2では耐氷能力が失われました)。もっともノヴェンバー級は放射線遮蔽区画に色々と問題があって身軽だったという部分もあったのでしょうが・・・・・。