Su-47の出自と「幻の前進翼艦上戦闘機Su-27KM」

 ロシア・ソ連海軍報道・情報管理部機動六課の記事「幻の前進翼艦上戦闘機Su-27KM(S-37ベルクト原案) です。絶対、読みましょう。K-19なんか見てる暇があったら読みましょう(オイ

 以下、「六課」の記事の大筋に脚色を加えたものです。
 
Su-47といえばかの有名な前進翼機ですが、あの機体はスホーイの自主開発機であることも同時に知られています。ですが、きっかけはあったわけで、それが「Su-27KM」です。Su-27Kなんて名前ですが全く違う機体で、完全に新規設計だったそうです。この機体を搭載予定だった空母は米国のそれと比べると小さく、搭載機数が限られます。なので大型のSu-27を艦載化すると翼端を折りたたんでも搭載機数が限られ、当時のMig-29の艦載型だけでは制空・防空性能が不足してるとされました。この事実に対するスホーイの答えが前進翼でした。当時、ソ連でも前進翼の研究は行われていたとの事で、実用化のめどはたっていたのでしょう。艦上戦闘機での前進翼採用は世界初です(でした)。が。1989年5月、ソ連軍事産業委員会はSu-27KMの開発中止を決定しました。世界初の前進翼艦上戦闘機は海のもずく藻屑となり、Su-27KMを搭載予定だった原子力空母もソ連崩壊とともに海の(なんども同じ洒落を繰り返すのはアレ)ナントカになってしまいました。が。健気なスホーイは自力で前進翼機の研究・開発を続行。艦載機としての機能を省き、開発を進めてまいりました。嗚呼。スホーイよ。かわいいところがあるじゃないか。大戦略でSu-17を捨て駒に使ってごめんよ。そして遂に、嗚呼!Mig-31のエンジンを搭載した試作機が飛行したのであります!これが今のS-37(今ではSu-47の名前をもらいました)なのであります。デモフライトにも海軍関係者に立ちあってもらったようです。メデタシめでたし・・・・・・。が。今にいたるまでただの一度も受注を受けておりません。どこまでもかわいそうなSu-47・・・・・・・。以上、ちょっと感動的な話でした。
Su-47